千鳥の『相席食堂』で、ノブの姪っ子が出演し、
ロケの最後に、
「私は何もできない人間だけど、せめて優しい人でありたいと思いました」
と言い、ノブが「なんじゃそのまとめはぁ」
すると大悟が、
「ええやん。それでええやん。皆そうなったらええな。何もできないけど、優しい人でありたいって、そう言えたらええな」
すると私は、外を歩いていた。
見ると、こうも世の中は広く、ランダムでカオスな動きがあり、豊かなものか。
色々なものが、一度に、同時に、動いている。
少なくとも、そういった印象がある。
目の焦点をしぼれば、はっきりと物が見えてくる。
その代わり、目当て以外のものが、どんどんぼやけていく。
だが、ここが日本で、〇〇市であることは、わかっている。
それは、意識の下に透けていて、ゼリーの中の果実のように、ぼんやりと見える。
私は、たとえそこがどんなに知らない道であろうと、自分がどこからどうやって来たのか、覚えているし、そこへ帰るための道順や時系列を、何となく記憶している。
それは、ゼリーの中の果実のように、ぼんやりと見えている。
頭のなかに、いつでも地図のイメージがある。
だが私は、実際にそれを上から見たわけではない。
大陸というものを。
それは、学校で習った。
そもそもあんなに高いところから、一度に、同時に、すべての場所を見下ろすことなど、できない。
だが、人工衛星が、本当に上からの視点を生み出してしまった。
私の頭のなかに、ほとんどGoogleマップがあるが、それはアプリを開かないと、使うこともできない。
迷ったら、地図アプリを開くと、そこがどこで、いつなのか、わかるような気がするが、実際の私は、そこが本当にどこで、いつなのか、わかるわけがない。
私は歩いており、そこにいるような気がする。
だが、本当は、まったくわからないはずだ。
意識のオブラートの下にあるのは、地図だけではない。
服を脱いだら、捕まる。
声を発したら、見つかる。
時を忘れたら、遅れる。
それを思い出すと、おや、ここは日本で、〇〇市か。
俺は、〇〇という名前だ。
ということは、これまでの人生がある。
社会的責任もある。
ここで服を脱ぐわけにはいかない。
なぜならば、ここは日本で、法治国家だからだ。
だが、おや、ここは、本当は、どこなのか。
わからない。
少なくとも、私がここにいて、いま移動しているということは、その先の目的地に、私がいるわけがない。
なぜならば、いま移動している私が、私だからだ。
私は二人いない。
正確には、私は、二つの場所に同時に存在することは、できない。
と、言われている。
私は歩いている。
とすると、私はここにいる。
すると、思い出した。ここは、日本か。
私は、道を歩いているとき、ここが日本だということを、忘れたことはない。
それどころか、どの都道府県の、どの市区町村の、どこらへんにいるのか、わからなくなったことはない。
道に迷ったとしても、どこから来たのか、方角がわかるし、時系列がバラバラになっていないから、いつごろから歩きはじめたのか、だいたいわかる。
海の向こうへ旅をすると、その一部は本当にわからなくなる。
アイスランドの道を歩いていると、やはり時間や空間の一部が、わからなくなる。
ここはどこで、いつなのか。
人はおらず、甘ったるい杉花粉のような匂いがする。
見渡すかぎり、苔の生えた溶岩が続いている。
遠くに火山が見える。海は塩素っぽい白さで、しぶきが激しい。
火山のある孤島は、日本に似ているが、日本ではない。
しかし、ここがアイスランドであるという確証もない。
そもそも、ここは、私の頭のなかの景色なのかもしれない。
小澤さんがいつか、
「景色は情報量が多すぎる」
と言っていたが、あれは彼が景色を見ない理由のひとつだった。
と、私は記憶している。
私たちはそのとき、バンド記事のインタビューで山形駅から米沢へ向かう電車の中で、すさまじい速度で横に流れていく速度と田んぼや山々の広がりを見ながら、私が、
「景色というものは素晴らしいと思わないか。お前は景色を見ないのか」
と言うと、小澤さんは、
「景色は情報量が多すぎる。何を見ていいかわからない。その点○○はいい。(アニメ、と言ったのだったか、デフォルメされた絵、と言ったのだったか、あるいは記号と言ったのか)」
記憶が、虫食いになっていて、ほとんど忘れてしまった。
村岡と小澤さんと三人で鶴岡へ旅行したときも、電車のなかで村岡と小澤さんは、ずっとガンダムの話をしていた。
村岡がガンダムのビームの音やセリフなどをずっとふざけて真似して遊んでいたら、向こう側に座っていたジジイが、
「オイ、声帯模写もいいけど、もっと景色を楽しめや」
と言って、小澤さんは、
「ほう」
というようなことを言うと、
すっと立ち上がり、われ先に席を離れたが、村岡だけがそのジジイに、
「来い」
と言われ、正面の席に座らされ、鶴岡駅に着くまでずっと説教を受けていた。
私はそこに座ったままだったから、少し会話の内容が聞こえてきた。
「兄ちゃん、国はどこや」
「はあ、秋田です」
(やばいな)←そのときの私が思った。
「ほら。最上川や。いいか坊主。人生ってのは、川の如しやな……」
というような厚かましい説教を受けていた。
村岡は前のめりになって、
「ハイ、ハイ」
と言って聞いていたが、駅に着くと抜け殻のようになっていて、
小澤さんが、
「大変だったな。俺はすぐに席を立ったから良かったよ」
すると村岡が、
「何がいいんだよ。まあ百歩譲って小澤さんは正解だよ。でもこいつは何だよ。他人事みたいにそこに座っていて、動きもしなかったぞ」
私は弁明して、
「いや、席を立つほうがおかしいだろ。村岡が拘束されているんだぞ。俺は近くにいたんだから、良いほうだよ」
と言ったが、村岡は、
「いや、小澤さんはいいんだ。すぐさま動いたからな。だがお前は駄目だ。お前はどっちつかずだったんだ。俺を助けることも、逃げることもしなかった」
というような会話になった記憶があるが、
私はたしかにあのとき、村岡を助けるために、そこに割って入っていったら良かったのだが、私は保身のために、村岡を見捨てたのだ。
そしてバンド記事のために米沢へ向かう電車のなかで、小澤さんが、
「景色は情報量が多い」
というようなことを言っていた気がするのだが、
そのとき彼は、これからインタビューするミュージシャンのブログを読み漁ってきたらしく、
「こんな記事を見つけたんだが、いまお前に見せるのはまずいか……」
というようなことを言ってきた。
つまりこれからインタビューをするにあたって、前もって知っておくと何か不具合がある情報を彼が持っていたらしく、私はブログを読み漁るのはやりすぎなのではないかと思ったが、
無事にインタビューが終わったあと、私もそのブログにアクセスしてみた。
するとこのようなことが書いてあった。
〈今日はインタビューしてもらった。大学生の人たちと聞いていたので、ウェーイな人たちかと思ってびくびくしていたら、ものすごく真面目な人たちで、安心した。最後に『いま幸せですか?』というようなことを聞かれて、うーんと考え込んでしまった。幸せなのかな? 考えたけど、わからない。たぶん幸せなのかもしれない〉
すると私はすぐさま小澤さんに、
「おい! ブログ見たか!」
と言ったが、彼は見た上でとくに関心を持たなかったらしく、
「見たけど?」
というようなことを言っており、私はそのブログを見て、取材後のミュージシャンの素直な反応が見られたことに一人で感動していた。
やや独特なインタビューの方法ではあったが、それが彼女にとってはわずかばかりでも良い影響を及ぼしたのかもしれない、と思い、私は一人で勝手に舞い上がっていた。
しかし小澤さんはあれだけ取材前にブログを盗み見ていたくせに、いざ取材が終わると、ドライな反応だった。
私は不服だったが、そのうち時間が経ち、私は温泉掃除のバイトをしているとき、ふとなぜだかそのミュージシャンのことが頭から離れなくなり、
(これは、好きということなのだろうか)
と思ったが、そう思いながら、向こうの洗い場のシャワーを掃除している伊原さんの背中を見つめていたが、そのとき、
(伊原さんだ。しゃがんでいるな)
というようなことを考えていた。
伊原さんはいつも力の抜けたしゃがみ方をしていた。
が、それは彼女の運動神経の良さが滲み出ている感じだった。
伊原さんは、掃除をするとき、無駄に力んだり、せわしなくしたりしない。ただそこにしゃがんでいて、丁寧なのか、ゆっくりなのか、わからないが、ぼんやり洗ったり、適当に流したりしている。
いつだったか、細田くんと伊原さんと三人のシフトのときに、掃除が終わって、伊原さんが先に風呂から上がるのを細田くんと二人で待っていたら、細田くんがとつぜん、
「今日用事あるんだった。俺、今日、風呂はいいわ」
と言って帰ってしまい、しばらくして湯から上がった伊原さんが、
濡れ髪をタオルで拭きながら、
「お待たせー。あれ? 細田くんは?」
「なんか、帰りました」
「ふーん。お風呂入っておいで?」
と言って、姉のような、女性の先輩のような、優しい口調と声音で言ったのを、私はずっと忘れないだろう。
なぜならば、興奮したからだ。
風呂から上がると、
伊原さんはもう帰っていた。
すると私は、なぜだか残念な気持ちになった。