20200921スキタイ

ウェスタロスという大陸を最初に見つけたのは、東から来た人たちだった。

彼らは“最初の人々”と呼ばれた。

その後、アンダル人およびロイン人が、東から渡来した。

“最初の人々”は彼らに滅ぼされ、消えた。

それから約15320年後、ウェスタロスにアリア・スタークという人物が誕生した。

アリアは〈冬来たる〉を標語に掲げるスターク家の次女だった。

スターク家は、“最初の人々”の血を引く太古の名家でもあった。

アリア・スタークはその長い旅路の果てに、北より出ずる“夜の王”を殺し、人間世界に泰平をもたらした。

そして地図には描かれていないウェスタロスの、さらなる西の海の向こうへと去った。

とすると、この物語において、人間と呼ばれる謎の生き物は、西へ、西へ向かって、移動し続けている。

アリア・スタークは(あるいは、アリア・スタークが繋いだ道をゆく未だ見ぬ誰かは)、遠い未来、未知なる西の海のはるか向こうで、次の“最初の人々”になる。

もしくは、アリス・ウェストヒルなる人物が、アリア・スタークが生まれる270年前に、すでに新しい大陸で、次の“最初の人々”になったのか。

 

この世界において、“夜の王”が率いる死者の軍勢は、北から来る。

死者は、北から来る。大陸ウェスタロスには、死者を殺すことができる物質が、三つある。

ひとつは、ヴァリリア鋼である。

ヴァリリア鋼は、古代ヴァリリア帝国の特殊な製鉄技術で作られた、呪術の鉄鋼である。大陸ウェスタロスには、ヴァリリア鋼でつくられた剣が、いまもまだ何本か残存している。

ふたつ目は、ドラゴングラスである。

ドラゴングラスは黒曜石によく似た石で、太古の昔、“最初の人々”はこれらの石器のナイフを用いて、死者の軍勢に立ち向かった。

みっつ目は、炎である。

 

これら三つの物質は、すべてウェスタロスの東よりもたらされたものだ。

ヴァリリア鋼は、東より渡来した古代ヴァリリア人の末裔(ターガリエン家)が、ウェスタロスに持ち込んだ。ターガリエン家はまた、ドラゴンも持ち込んだ。

ドラゴングラスは、東から来た“最初の人々”が石器技術とともに持ち込んだ。

炎は、東から来たアンダル人が鉄器技術や国家制度とともに持ち込んだ。

死は北から来る。

死を打ち壊す物質は、すべて東から来る。

人間は、西へ、西へ、移動し続けている。

おそらく、死を打ち壊すことのできる狂った強度を持った物質の四つ目に、人間もまた、数えられる。

人間が、その大陸に物質と、技術と、制度を持ち込んだ。

 

紀元前1500年頃、黒海北岸の地に、キンメリア人と呼ばれるインド・ヨーロッパ語系の民族が現れた。

彼らは馬術に長けた遊牧民であり、その土地に鉄器技術を持ち込んだ。

その800年後、カスピ海東岸から現れたイラン系の民族がこの人々を掃討し、土地を奪った。

彼らはギリシア・ローマの著述家からスキタイ人と呼ばれた。

最初のスキタイ人は、タルギタオスという名の男だった。

タルギタオスは、ゼウスとドニプエル川の神の女とのあいだに生まれた。

タルギタオスには、三人の子供があった。

タルギタオスの死後、天から黄金の鋤、軛、戦斧、杯が落ちてきた。

長兄が一番最初にそれを見つけ、近づいて我がものにしようとしたところ、黄金が燃えだした。次兄が近づいてもまた、同様だった。

最後に末弟のコラクサイスがそばへ行くと、火は消え、彼は黄金の器物を手にとることができた。

そこでふたりの兄も、末弟に王位を譲ることに同意した。

ギリシア神話にも、よく似た構造の話がある。

 

スキタイの社会構造や政治システムについては、彼らが文字を残していないこともあり、よくわかっていない。

三人の王が分割統治をし、そのうちの一人がスキタイ全体を統括する首長に選ばれていた、ともいわれている。

ヘロドトスによれば、スキタイ人は最初に殺した敵の血を飲む。

また戦闘で殺した敵兵は、ことごとくその首級を王に献上する。敵の頭皮を剥がし、一種の手巾をつくって自分の轡にくくりつける。

女性は敵を殺して初めて、結婚ができるようになる。スキタイの戦士は、皆、華美な財宝を身につけており、武勇に優れている。

スキタイ人は、大麻と酒に目がない。

ヘロドトスによれば、スキタイ人大麻の種を手に持ってフェルト製の幕の下にくぐり込み、その種を焼けた石の上に投げる。熱せられた種はくすぶりだし、大麻の湯気の蒸し風呂になった幕の下で、上機嫌になって大声で唸り立てる。

ローマの著述家ヘシキウスは、大麻のことを「スキタイのお香」と呼んだ。

ロードス島のヒエロニムスは、泥酔することを「スキタイ人のようにふるまう」と言った。

スキタイ人は、ズボン、ふいご、ろくろ、などの技術を発明した。

スキタイ人は、身を飾る装身具だけでなく、刀の鞘や矢筒、馬具などに黄金の飾り板を貼りつけ、それに浮き彫り、沈み彫りなどの方法で動物を表現した。

彼らの描く動物意匠は、ライオン、豹、猪、鷲、グリフォンなどが、馬や鹿に襲いかかり、肉を食いちぎろうとしている場面などが、多く見られる。

彼らは黄金を愛した。

ロシアの学者リトヴィンスキーいわく、黄金崇拝はインド・イラン系の人々の世界観・宗教観と深く結びついている。古代インド・イランの神話世界では、「王-火-黄金」の三者は不可分である。

黒海の周辺の地は、古代ギリシアにとって地の果てであると考えられていた。ギリシア神話でも、この地は未開の地として登場する。

スキタイ人のなかにも、農耕部族がいた。

その農耕部族の子孫が、やがてスラヴ人と呼ばれる人々になった。

スラヴ人の子孫は、やがてベラルーシ人およびウクライナ人と呼ばれる人々になった。

現在のウクライナ国家の位置は、スキタイ人が生息していた土地とまったく同じ位置にある。

 

スキタイの血を引くカルディアのエウメネスは、マケドニアアレクサンドロス大王の書記官として仕え、その生涯を記録した。

アレクサンドロス大王は紀元前356年の7月に生まれ、紀元前323年の6月10日に32歳で死んだ。

「地平線の先を見る」という野望を掲げ、21歳にヨーロッパを出立し、アジアへ突入して以来、一度もマケドニアにもギリシアにも帰らなかった。

彼の死後、配下の将たちがこれ以上の西征は無謀である、との決断を下し、来た道を戻った。

アレクサンドロス大王の果てしない東方遠征によりペルシアは征服され、マケドニアの支配はインドの近くまで及んだ。

アレクサンドロス大王の死から175年後、マケドニア共和政ローマにより解体された。