20220505虹色のボール

起きると、激しい寒気と空腹感があり、寝不足と二日酔いによる、ひどい肩こりと疲労のようなものを感じたが、外の天気が良くて、薬局へ行くと、風邪薬を買って、牛丼屋へ行って、大盛りの牛丼を食べた後にそれを飲んで、(これで良くなるかな)と思い、電車に乗った。

立川に着くと、小澤さんと会った。駅には人々がたくさんいた。モノレールのある通りを歩いていくと、日差しがあり、犬を連れた人々が歩いていた。「あのベンチでよく臨床心理学の本を読んだ」と、小澤さんは向こうを指して言っていた。「外で本を読むのは良い」と彼は言っており、私もそれに賛同した。日差しがあり、栄えた、豊かな街だった。

昭和記念公園に着くと、道を歩いていった。芝生や、原っぱに、人々がいた。テントを張っている者・・・レジャーシートに寝そべり、犬を撫でたり、物を食べたりしながら、笑い、憩っている者・・・バドミントンに興じている者・・・フリスビーを投げている親子・・・二人の若い男女、薄着の女・・・私たちはその景色を、周縁の道に沿って歩きながら、外側から、眺めていた。

「あれはビオトープだ。我々はその系の外にいる」と、私が言うと、小澤は「俺にはそうは思えない。これは単なる普通の景色だ」と言った。私は(いいや違う。これは、普通の景色じゃない)と思った。人々が、笑っていた。

それから我々は、昭和記念公園の、ある種の不自然さ・・・とでもいおうか、違和感のようなものを、抱き始めていた。最初は一つの点や、染みに過ぎないと思っていたものが、歩き進めるたびにいくつも立ち現れ、どうやらそれらをある規則性に基づいて繋いでいけば、その点や染みの背後に隠されている、不気味な図形や表象のようなものが立ち現れる可能性があることに、我々は気づいたのである。

「この公園は何なのだ」と小澤さんは言った。私は看板を見ると、「川が流れている」と言って、向こうの方を指した。しかしそれはまだ我々の位置からは見えていなかった。「川が流れていることも、重要なのか」と彼は言った。私が「流れている方向による」と言うと、橋の上から川が見えた。川は枯れており、真上にかかる橋の地面には日本地図が描かれていて、地図によると、その川は南北に貫流していた。

それから公園のゲートに着いて、地図を見ると、我々が歩いてきた空間はこの世界のほんの一部に過ぎないことがわかった。我々は入場料を払い、ゲートに入場して、向こう側の世界へ入った。入ると、中には外側の世界とほとんどまったく同じ世界が広がっていた。原っぱがあり、人々がいた。犬がいて、子供がいて、フリスビーや、シャボン玉や、バドミントンがあった。その原っぱは『ふれあい広場』と呼ばれていた。先ほど私たちが通過してきた、外の無料区域の原っぱは『ゆめ広場』と呼ばれていた。通貨を支払うことで、夢が触れ合いに変わることに我々は気づいた。それから、歩いていった。

公園には、いくつも不自然な空間が散在していた。あきらかに人工的に設けられたスペースであるにも関わらず、用途が不明な空間が多数存在していた。それは公園を建設する際に、たとえば自然の生態系を避けるためにやむなく生まれてしまったデッドスペースではない。それは明らかに、すべてが人工的に配置され、完成図に基づいて施工されているスペースなのに、娯楽的な要素も、設備環境的な要素も、芸術的な要素もない。我々はそれは何かしらの『設計』なのだろうと推察した。

一人の奇妙な老人に導かれ、橋を渡ると、我々はさらに深い内側の世界へと入っていった。すると、森の先には巨大な原っぱがあった。我々は、さっきまで感じていた不穏さや不気味さがだんだんと晴れていき、原っぱで人々が笑っていても、何も感じないようになった。我々は原っぱに足を踏み入れて、笑っている人たちの生態系の中を、無神経に横切っていった。

ベンチに座って、休憩をすると、向こうの道を蒸気機関車が通り過ぎていった。その蒸気機関車には、人々が乗っていた。見ると、人々の、顔が並んでいた。小澤さんは遠くからそれを見ると、「人身売買のようだ」と言ったが、機関車に近づいて見ると、「あっ!」と声を上げて、息を止めた。そして一瞬のこと、歩いて通り過ぎると、彼は息を吐き出して、震えながら、

「あの電車は、正面から見ると青かった。『あおぞら号』と書いてあった。しかし歩き、視点が移動すると、電車の側面が見えた。人々の、顔が、並んでいた。そしてこちらを見ていた。そして電車の側面の色は、青くなかった」

と言った。我々はのちにその機関車を『ダークトレイン』と呼んだ。

それから、彼は、公園内の人たちが、スマホで花を撮ったり、噴水を撮ったり、空を撮ったりしているのを見て、カメラのレンズに対して敏感になりはじめた。「その迷いのなさのようなものが、引っかかる」と言っていたが、気持ちはわかるような気がする。

それから我々は歩いていった。こもれびの家を過ぎ、日本庭園を過ぎ、こもれびの丘へとたどり着いた。こもれびの丘は、花園だった。赤い花が、咲いていた。葉は緑だった。我々はそれを単純に「綺麗だ」と知覚した。丘を登って、降った。花が咲いていた。花は綺麗だった。見ると、光が当たっており、私は、この美しさの原因は、光の陰影がかなり影響しているのだろう、と思った。小澤さんは青い花が咲いているのを見つけ、「俺は青紫という色が一番好きだ」と言って、餓死寸前のミツバチのようにかじりつくようにして見ていたが、それ自体はかなり異様な光景だったし、その場でも突出していた。

それから私たちは花畑を歩いて行くと、細い道を、家族とすれ違い、犬を抱いている父親と、荷物を掲げている母親と、娘と、少年のようなものが通り過ぎ、一瞬、見ると、少年が、虹色のボールのようなものを抱えながら、こっちを見ていた。

しかし通り過ぎると、それが一体何だったのか、私は自分が見たものについて疑い、小澤さんもそっと打ち明けるように、私に言った。「虹色のボールを見たとき、発狂しそうになった」と。私は(あれは本当にボールだったのか?)と思った。私には、何かの卵に見えた。

それから私たちは歩いていき、こもれびの里を見た。こもれびの里は、滅ぼされていた。こもれびの里の横に、アイスクリームの屋台が売っていて、小澤さんは「こいつらが里を滅ぼした」と言っていた。彼らは、アイスクリームを売っていた。

それから道を歩いていくと、渓流広場へ戻って、小澤さんはチューリップソーダを、私はビールを飲んだ。チューリップソーダは、音もなく受け渡し口から出てきた。チューリップソーダは、奇妙な見た目をしていて、五百円もした。私はそのとき気づいた。これはインスタグラムで写真映えするために発案された商品なのだと。私がそれを彼に伝えると、彼はもうチューリップソーダを飲み干していた。そして「味が薄い」というようなことを言っていた。私は、ジュースの魅力がわからないから、そういった場所に来ると、必ずアルコールを注文してしまう。ビールを飲んで、草原を眺めていた。