20220310桓騎②

桓騎は趙国の投降兵十万を斬首した。秦王はそれを罰するため、軍を率いて平陽を訪れた。

なぜ殺したのかと王に問われ、桓騎は「殺したかったから殺した」と言った。秦王は桓騎の首を刎ねるよう告げたが、それは両者の軍によって止められた。それから桓騎と秦王は舌戦を繰り広げた。

桓騎の主張はこういうものだった。

「人は人を殺さないようにはならない。人はそうはならない。秦王が始めたこの戦争は、十万など比にならない数の人間を大量に殺すことになる侵略行為だ。痛みというものには底がない。憎しみや苦しみといったものは決してなくならない。そしてその先に人が一つになる世界はやってこない」

秦王の主張はこういうものだった。

「人は人を殺さないで済むようになる。人はそうなる。この戦争は、大量の人間を虐殺することになる侵略行為だ。この戦争を始めた責任は自分にある。自分にはこの戦争を続ける責任と、終わらせる責任がある。人の本質が光であることを自分は信じている。どれだけ痛みに底がなかろうと、憎しみや苦しみに終わりがなかろうと、それを終わらせることができると信じている。そしてその先に人が一つになる世界がやってくると信じている」

 

サンダー・クレゲインは猟犬(ハウンド)と呼ばれた男で、彼はかつて王の楯“キングズガード”の一員として白マントを見に纏い、王宮に幽閉される幼いサンサ・スタークの監視と護衛に勤めていたころ、彼女に向けてこう述べたことがあった。

「スタニス・バラシオンは人殺しだ。ラニスターの連中も人殺しだ。お前の兄貴も人殺しだ。お前の息子も、いつか人殺しになる。世界は人殺しで作られている。だからよく見ておけ。よく見て慣れておけ」

黄地に三頭の黒犬が描かれている旗を掲げるクレゲイン家の“猟犬”と呼ばれた男が、やがて大狼を紋章とするスターク家の少女たち(サンサ、アリア)を守ることとなったのは、まことに数奇な運命なことだと思う。

彼は人を殺すことでしか世の中と関われない男だった。顔は火傷でただれ、醜く引きつっていた。いつも悪態をついていて、何かを呪うようにワインやエールを飲みまくっていた。周りの人間を威嚇し、近寄ってくるものは娼婦すらも跳ねのけて、他人というものを遠ざけていた。おそらく童貞で、精神病の疾患もあったことだろう。もしも、桓騎が彼に手を差し出したら、彼は戸惑いながらも、その手を取るかもしれない。

だが彼は、王宮で悪王ジョフリーから人知れずサンサを守り、のちに王都を追放されてからは、北部でアリアと行動を共にして、結果的に彼女と奇妙な絆を結んだ。

孤独なサンダー・クレゲインの心を少しでも理解することができたのは、同じように世界の痛みや苦しみの底のなさを知る、スターク家の少女たちだったことだろう。そして猟犬は不思議な縁に運ばれ、結果的にその狼の少女たちを守ることとなった。偶然とは思えない、運命的な出来事だ。

スターク家の子らが使役するそれぞれの大狼“ダイアウルフ”の名は、まるでその子ら自身の魂や運命を象徴しているかのようでもあり、サンサとアリアもまた例外ではない。

淑女の刺繍針よりも剣の針“ニードル”を振るうことを好んだアリアは、自身の大狼に「ナイメリア」という名を付けた。それはドーンという国を建立した古代の女王戦士の名だった。ナイメリアは、ある日バラシオン家の愚息ジョフリーの腕を噛み切ろうとしたという無実の罪で、処刑されることになった。アリアは刑の前日に犬舎に忍び込んでナイメリアを逃し、夜の森に放った。それからというものの、彼女は自らの旗標を失い、長く険しい旅路を経験することになった。やがて彼女は東のブレーヴォスへと渡り、“顔のない男たち”の暗殺術を身につけた後、女王を殺すために大陸を南下する道の途中で、無数の狼の群れを率いた野生のナイメリアと再会した。彼女はナイメリアの名を呼び、こっちへ来るように語りかけたが、ナイメリアは彼女の目をじっと見つめると、きびすを返して森の奥へと消え、それ以来二度と彼女の前に現れなかった。アリアはその背を見送り、「そうだよね。あなたらしくないよね」と言った。懐かしい。

白馬の王子様を信じる美人で夢見がちなサンサは、自身の大狼に淑女(レディ)という名を付けた。彼女はどこへ行くにもその大狼を引き連れて可愛がり、その威光を誇ったが、レディはアリアが逃したナイメリアの身代わりとなって、ジョフリーの愚かな告訴を精算するためだけに殺された。それからというものの、彼女の華やかな宮廷の淑女の暮らしは一転して、汚辱にまみれた凄惨な日々へと様変わりした。彼女は家族を殺され、故郷をなくし、悪王ジョフリーの妃として陵辱され、ベイリッシュ公の歪んだ愛情と策略に巻き込まれ、七王国随一の残虐性をもつ智将ラムジーボルトンの妻となり、強姦されて処女を失った。やがて大人を操ることを覚えた彼女は、天性の政治経済的な洞察力を用いて男たちを動かし、大局を支配して故郷を取り戻した。そして悪鬼ラムジーボルトンを捕らえると、椅子にくくりつけて、生きたまま犬に食わせて殺した。

すっかり変わり果てたサンサと数年ぶりに再会した猟犬サンダー・クレゲインは、長卓を挟んで向き合う彼女の目を見て、こう言ったものだ。

「いつも怯えて青い目を泣き腫らしていた、あの小鳩とは思えぬ。一体どうやってラムジーを殺した?」

彼女は唇をなめ、少し考えると、

「猟犬を使って」

と言って、目だけで笑ったものだ。

おそらく、桓騎が差し出した手を、サンダー・クレゲインが取ることはあっても、サンサやアリアが取ることはないだろう。それはたとえば、王翦や楊端和が桓騎に従えることがないのと同じ理由で、サンサやアリアは、きっと誰のもとにも跪かないだろう。だが、これだけは認めねばならぬ。ひょっとしたらサンサやアリアは、嬴政のもとになら、跪くかもしれない。

それはサンサやアリアが、秦王の倫理観や、彼の言う“人の光”なるものを支持するからでは決してなく、単純に論理的に、秦王はどのようなヒステリーにも陥っていない、純粋な信仰と一体化しているからこそ、強いと判断されるのだ。

桓騎のそれは、どこまでいっても「反」嬴政的でしかない思想だが、嬴政は、桓騎のヒステリーなどもろともせず、単に無神経に「人を信じている」からこそ、疑いなく人を殺しまくることができる。何かの信仰と完全に一体化した人間を止めることは非常に難しく、その覇気が求心力となって人は集まり、その魅力的な力を前に人は屈するのだろう。

桓騎は、本物だ。本物だが、自身の論理の矛盾を正当化するために人を殺している以上は、嬴政の信仰を永遠に越えることができない。桓騎は、どうやら光と影のあいだで揺れているようだ。彼はその心の矛盾に折り合いを付けることができないからこそ、残虐なヒステリーを起こして人を殺しているように思える。しかし心の矛盾を前に揺れるという状態は、実は英雄的な精神のバランスだ。秦王には、そのゆらぎは微塵も見られない。彼は“光”なるものを疑いなく信じている。それは聖人的な君主の姿に映るが、実は桓騎よりも残虐な性質があるのではないか。なぜなら光と影の一方をただ強く信じるということ自体が、とても危険なことで、そこには矛盾を抱え込む弱さが存在しない。

でも、サンサやアリアは、本当に嬴政の信じるようなそれを望むだろうか。

サンサ・スタークは結果的に北部を掌握することになったが、彼女が積極的に具体的な権力を求めたことは決してない。彼女が具体的な何かの野望を抱いたことは決してない。男たちが剣を掲げて外の世界へ栄光を求めて死にに行く一方で、彼女はただ今の暮らしが続いていくように、自分の家や国を守ろうとしただけに過ぎない。彼女は自分と家族の安全と安心のために、仕方なく諸侯たちを団結させて、北部をまとめ上げたのだ。

アリア・スタークの心は彗星のような気質で、桓騎や秦王というよりはむしろ、おう、マケドニアアレクサンドロス大王に近いだろう。アレクサンドロスは狂った好奇心の奴隷になり、古代ギリシアを東方の限界世界まで押しひろげて統一した。彼は“光”を信じていたわけではない。国土を拡大して統治し、それを運用することに何かしらの意義を見出していたわけでもない。彼はただ単に、地平線の先が見たかったのである。秦王の掲げる中華統一の宿願をアリアが聞いたとき、きっと彼女はその夢に共感するよりも先に、「ねえ、それよりこの地図の向こうには何があるの?」と王に聞くだろう。