桓騎が趙国の投降兵十万を斬首した。
電車に乗っていると、人が乗っている。
パソコンを広げている人もいる、本を読んでいる人もいる。寝てる人もいる。ほとんどの人は、スマホをいじっている。
桓騎が趙国の投降兵十万を斬首した。ということはつまり、この人たちはいなかったかもしれないということだ。
私もいなかったかもしれない。いないのかもしれない。この電車に乗っている人たちの首が、ひとつ、ひとつ、転がっていって、十万個の頭になると思うと、それは、「かわいそう」なことなのだろうか、それとも「悲しい」ことなのだろうか。
素直そうな顔つきの人もいれば、小狡そうな顔つきの人もいる。たとえば、そのうちの一人は、今夜は兄夫婦の家に寄る用事があって、それを少し楽しみにしているのかもしれない。その人の首が転がるとしたら、「かわいそう」だろうか。かわいそうか。そして「悲しい」という気もするか。
中華を統一するということは、桓騎の言うとおり、結局はそういうことをするということなのではないか。
いや、しかし、兵を殺すことと、捕虜を殺すことと、民を殺すのでは、まったく意味合いが異なるのかもしれない。
兵を殺し、民を治る。それを何度も何度も繰り返していって、分化された国家をやがてひとつに統一する。すると、「人が人を殺さなくて済む世界が来る」と、そういう、ことなのだろうか?
この世を支配する暴力の車輪をぶち壊すため、三体のドラゴンと万の軍勢を率いて王都に攻め入った少女デナーリス・ターガリエンは、王都の民を貴賤の区別なく焼き殺し、女子供も皆殺しにして、灰の女王になった。
デナーリス・ターガリエンはそのとき、こう言った。
「あなたたちは約束を果たしました。
鎧を纏った私の敵を殺し、彼らの城を破壊しました。七王国を私のものにしました。王都の人々を暴君から解放しました。」
「戦いはまだ続きます。この世界のすべての者を解放するまで、終わりません。
ウィンターフェルからドーン、ラニスポートからクァース、サマー・アイランドから翡翠海“ジェイド・シー”まで、
すべての女、男、子供たちは、長い間権力の輪の下で苦しみ続けました。私と共に、その輪を破壊しましょう。」
眼下には意志なき暴力兵器と化した“穢れなき軍団”と、野蛮なドスラク騎族が集い、血まみれの剣や矛を彼女のために掲げていた。
桓騎はこれを見て笑うだろう。秦王は、激怒するかもしれない。王翦将軍なら、まず何よりも彼女の軍隊とドラゴンを欲しがるだろう。楊端和もきっと、まずはドラゴンを見るはずだ。
初めてドラゴンを見たときのことを覚えているだろうか。ドラゴンは一体、どこから来たのだろうか。はるかな古代、それを最初に見つけたのはある羊飼いの一族だったと言われている。彼らはある日、火山の火口に見慣れない獣が生息しているのを見つけた。おそらくそれはまだ幼獣だったことだろう。黒曜石のように硬いつるつるとした鱗を持っていて、小さなかぎ爪のある羽をばたつかせながら、煙のような火をシューシュー吐いていたことだろう。きっと身を寄せ合うようにして、そこには何頭かがいたはずだ。彼らはその獣を捕らえると、手懐け、交配させ、使役した。そしてその獣を使って巨大な帝国を築き上げた。彼らは今日では、ヴァリリア人と呼ばれている。
ヴァリリア帝国は独自の言語、宗教、文明を発達させ、無数の植民地をつくって発展した。その栄華は五千年続いたが、ある日「破滅」と呼ばれる謎の現象によって突如滅んだ。生き残った貴族は、唯一手元に残ったドラゴンを引き連れて西の大陸ウェスタロスへと渡った。そしてそのドラゴンを使って七つの王政国家を滅ぼし、ひとつに統一した。彼らは討ち取った敵の剣をドラゴンの火で溶かし、鉄の玉座を作った。最初にその玉座に座った男の名は、〈エイゴン・ターガリエン〉という。
三百年後、ターガリエン王朝は滅亡した。悪政を敷く狂王エイリスに対する諸侯らのクーデターにより、王は殺され、残ったターガリエンの血族は皆殺しにされた。
彼らの切り札であったはずのドラゴンは、もうとっくの昔に絶滅していた。
ターガリエンの血は絶えたと思われたが、生き残った二人の兄妹がいた。彼らは諸侯らの恩情を得て、東のエッソスへと追放させられていた。
それから十五年が経ち、兄は玉座の奪還を目論んでいた。妹デナーリスは兄の邪悪な野望の犠牲となり、野蛮な騎馬民族の長と政略結婚をさせられた。デナーリスは何度も陵辱の夜をくぐり抜けたが、やがて騎馬王の心を掴むと、しだいに彼に愛されるようになっていった。彼女はやがて部族の女王としての意識を芽生えさせ、騎手たちからも認められるようになっていくと、兄を処刑した。それからしばらくして、騎馬王が不慮の毒で死んだ。彼女が身籠った王の子は、不吉な黒い液体となって堕胎した。彼女は絶望し、火葬される夫のもとへ、炎の中へと、身を投げた。すると、供物として捧げられていた三つの巨大な卵の中から、絶滅したはずのドラゴンが現れた。彼女は兄を殺し、夫を殺され、子を失った代わりに、三体のドラゴンを孵化させた。それから彼女は、まるで歴史をリピートするかのように三体のドラゴンと軍勢を率いて、玉座奪還のために西を目指すことになった。
その時代のウェスタロスには、航空戦という概念が存在しない。空を飛ぶ巨大な火炎放射器を三台も保有しているデナーリスの軍を、木鉄鋼の武器を持った騎兵の軍勢が倒すことは不可能に近かった。そしてドラゴンを使役できる民族は、ターガリエン家のほか存在しなかった。
そのようにして皆、ドラゴンを見た。
アリア・スタークが初めてそのドラゴンを見たとき、彼女は笑っていた。ちょうど“顔のない男たち”の暗殺術を取得し、女王サーセイを殺すために王都へと南下する道の途中で、彼女はそれを見たのだった。北部の民が悲鳴を上げて地面にひれ伏すなか、アリア・スタークだけが目を輝かせ、食い入るようにドラゴンを見つめていた。
サンサ・スタークが初めてそれを見たときは、まるで逃れられない宿命を見つめるかのような目つきをしていた。共戦協定を結んでいるとはいえ、その頃の北部にとってはデナーリスはまだ未知の脅威であり、敵であった。実際にサンサとデナーリスは同盟を結んだ後もお互いを警戒し合い、最後まで反目する仲だった。
奇態な賢人ティリオン・ラニスターは、七王国を追放され東をさまようなか、廃墟と化した古代ヴァリリアの遺跡を通過するボートの上で、初めてそれを見た。幼少の頃から読み漁った歴史書にはいくつもドラゴンに関する記述が出てきたが、実際に自分の目で見るまではその存在を信じられなかった。ドラゴンが絶滅してから百余年ばかりが過ぎており、それはほとんど伝説上の生き物だった。彼は恐れと好奇心から、深淵を覗き込むかのようなまなざしで、頭上を飛び去る巨大なドラゴンを見つめていた。その後デナーリスの“王の手”として仕えることになる彼にとって、これが彼女との最初の邂逅であった。
ジョン・スノウはドラゴンを初めて見たとき、驚きと畏敬の念からか、息を呑んで立ち尽くして、しばらく不思議なまなざしで見つめていた。そして口を開いて「美しい獣だ」と言うと、デナーリスが「獣ではないわ」と言った。そして背に乗るよう彼女に促されると、彼はおそるおそるドラゴンの背に乗った。デナーリスはそれを見てくすくす笑った。彼は巨大な翼とともに舞い上がり、振り落とされないように必死でドラゴンの背にしがみついた。そして彼は、ドラゴンを乗りこなした。デナーリスは彼とともに地へ降り立つと、「私以外でこの子に乗れたのは、あなたが初めてよ」と、嬉しそうに言っていたものだ。懐かしい。
思えばこのときすでに、兆候は現れていたのだ。
デナーリスがドラゴンと共にウェスタロスへ渡り、彼らと出会う前、彼女は東の異国の魔道士の館で、このような予言を聞いていた。
「やがて出る約束の王子は、〈氷と炎の歌〉の名を持つだろう」
デナーリスは、それは自分のことだと思っていたが、やがて来たる“長き夜の戦い”で、北部と共戦協定を結び、“夜の王”が率いる死者の軍勢を退けた後で、その予言が別の人物を指していたことに気づいた。その男は、〈炎と血〉という標語を掲げるターガリエン家の血を引きながらも、〈冬来たる〉を掲げる北部のスターク家のなかで私生児として育てられた、奇妙な運命を持つ男だった。
と言われている。
『氷と炎の歌』は、〈エイゴン・ターガリエン〉と呼ばれた男が、デナーリス・ターガリエンを殺すまでの長い物語のことだ、と言える。かつてエイゴン・ターガリエンと呼ばれた男が創造した鉄の玉座が、三百年の時を経て、同じ〈エイゴン・ターガリエン〉という名を冠した男によって壊される、長い物語のことだ、と言える。
デナーリスは、予言を受けた魔道士の館で、ある未来のビジョンを見た。そこでは、彼女は鉄の玉座を手に入れていたが、周りには誰もおらず、朽ち果てた城に雪のような灰が舞い散っていた。
それから長い年月が経ち、彼女は最後にその光景を実際に見た。予言と違うのは、彼女は一人ではなく、愛した男に抱きしめられていた。そしてその男の手には短剣が握られていた。そしてその短剣の切っ先が、自分の胸にまっすぐ伸びていって、心臓に突き刺さっていた。それから彼女は、自分を刺した男の泣き顔を見たことだろう。
桓騎はそれを見て笑うだろうか。